ニュースレター

随時発行しています。

最新号はvol.2(2013年5月26日発行)です。

2013年

5月

29日

ニュースレター vol.2(2013年5月26日発行) 

福島原発告訴団 九州の告訴人・支援者のみなさま

福島原発告訴団 九州の告訴人・支援者のみなさま 

 

 変わらぬご支援・ご協力、ありがとうございます。

 
 「想いを1つに」することができた、2月17日の福島原発告訴団・九州報告集会から早くも3ヵ月以上経ちます。その後も福島本部のみなさんを先頭に、厳正な捜査と起訴を求めて行動が続けられてきました。

 

2月22日 東京地検包囲行動・東電要請行動 

3月19日 福島地検署名提出行動(署名10万筆超)

3月25~29日 福島地検前 昼時連続アピール行動

4月26日 「チェルノブイリ27年」福島地検前行動

4月27日 福島原発告訴団第2回総会(郡山市)  

 

 「第2回福島原発告訴団総会」では、結成から1年を迎えた告訴団のあゆみをふりかえりつつ、「私たちはこれ以上、バラバラにされない。これ以上、生きる尊厳を奪われない。つないだ手を離さない!」という私たち告訴・告発人一人ひとりの想いを確かめ合う場となりました。 

 いまだ立件へ向けた動きが伝わってこない中、5月31日に日比谷野外音楽堂で告訴団集会を迎えます。 類子さんからの「つないで手を離さないで!」との声に応えて、福島原発事故の責任を問いただすために九州からも声をあげつづけていきましょう。 

 総会議事録とともにニュース第2号をお届けします。

福島原発告訴団第2回総会(4月27日)に送った九州事務局からのメッセージ

総会にご参集のみなさまへ

 福島原発事故の発生から2年あまり。いまだ収束しない事故現場、明らかになってくる健康被害や体調異変、生きもの達の異常...福島のみなさんの置かれた現状を思うと、心苦しくなります。  しかしながら、この過酷事故の責任を負うべき人達がいまだに責任を問われず、相変わらず情報を隠蔽し、のうのうと現場管理をしていることに、怒りを禁じえません。  そうした中、勇気を持って立ち上がり、正義のための行動を続けるみなさまに、九州より心からのエールを送ります。気持ちだけは、総会に参加させてください。  私達はこれからも、「地検は強制捜査せよ」「東電を起訴せよ」の声を一緒にあげていきます。福島原発事故の責任をただすために、ともに行動をつづけていきます。  九州では、長年にわたって原発の危険性に警鐘を鳴らしてきた方、原爆、水俣病、米軍基地など国家や企業による人権蹂躙と対峙されてきた方、3.11後に「命を守るため、子どもを守るため」と必死に立ち上がった方、そして、原発事故により故郷を離れなければならなかった方達、あわせて800人以上の老若男女が各地から告訴人として加わりました。  2月17日に開催した告訴団・九州報告集会では、各地から集まった発言者、参加者一人ひとりの言葉が響きあい、想いが1つとなって、私達の「つながり」のチカラをあらためて感じることができました。  誰かの責任を問いただすことは、自分自身の責任を問うことでもあると、武藤類子団長は言われました。  私達は、九州にある玄海原発、川内原発を再稼働させず、このまま廃炉とするために行動しなければならない。それが、九州人の責任と肝に銘じています。  子ども達の未来のために、原発をすべてなくすために、私達はともにたたかいつづけます。  それが、福島のみなさんの想いにこたえること。類子さんからの呼びかけにこたえること。  つながった手を離しません! 2013年4月27日 福島原発告訴団・九州事務局

4月22日付佐賀新聞 事務局メンバーによる投稿記事が掲載されました

ニュースレターPDFファイルはこちら

福島原発告訴団・九州 ニュースレターvol.2(2013年5月26日発行)
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2013年

1月

05日

ニュースレター vol.1(2013年1月1日発行) 

九州・沖縄の皆様へ

小雪舞う福島の地より 武藤類子

 この度は『福島原発告訴団』へのご参加本当にありがとうございました。

 11月15日、福島地検に対して、全国からの告訴、告発人13263人による第二次告訴を行う事ができました。第一次のちょうど10倍です。日本の人口から見れば微々たる数ではありますが、それは福島県民のひとりひとりが、10人の全国の人々と手を繋いだ事になるのです。

 とても大切な数であり、大切な繋がりです。

 第一次告訴を受けて、検察は既に捜査を始めています。

新聞によるとリストアップされた関係者のうち半数の聴取を終えたと報道されています。

 福島原発事故の責任が明らかにされる事が、この国の新しい在り方を探る一歩となることを信じて、この告訴、告発の行方を見つめ続けて行きましょう。ともに歩んで参りましょう。 

 

ひとりひとりの心の声を響かせて

宇野朗子

 九州・沖縄にいらっしゃる福島原発告訴団のみなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか? 東京電力原子力事故の刑事責任を糾すため共に声をあげてほしいと全国の皆さんに呼びかけたのは、夏も終わりの頃でした。九州では、8月28日の熊本市での説明会を皮切りに、鹿児島、佐賀、大分、福岡、長崎、宮崎と、説明会を開催していただきました。各地の皆様、その節は大変お世話になりました。沖縄での説明会開催はかなわなかったものの、皆様の温かいご協力のおかげで、九州7県+沖縄から、700名を超える方々に第二次告訴の告訴人となっていただきましたこと、心より感謝いたします。


紅葉きらめく福島へ

 

 11月15日、福島地方検察庁へ、第二次告訴の告訴人名簿と陳述書を、全国各地から集まった約300名の方々と共に、無事提出してまいりました。4か月ぶりの福島の風景はとても穏やかで美しいものでした。以下は当日朝のフェイスブックへの投稿です。【おはようございます。福島原発告訴団、13262人の第二次告訴、いよいよ本日です。今、類子団長の運転で、岩代の道を走っています。紅葉の黄色・赤・オレンジ、柿のてんてん、稲刈りの終わった田んぼ、すすきの穂が光って揺れています。・・・雨雲が見えてきました。お天気もちますように。今日は、中継あります。みなさん、どうぞ見守っていてください。】

 朱い柿…秋の実りをいただくことができない、このやりきれない現実…福島の美しい景色は、静かな深い悲しみをたたえていました。

 福島市中央郵便局前の公園に到着、類子団長の挨拶の後、それぞれの地域の告訴団ののぼりや横断幕をもち、地検まで歩きました。乾燥するこの季節、再浮遊する放射性物質の危険が高まっているため、マスクが配布されました。九州の脱原発のパレードでは、賑やかに未来を感じさせてくれる子ども達の存在がありますが、福島では屋外アクションは決意ある大人のもの、子どもや若い人たちの参加は不可です。彼ら彼女らの分まで、私たちは声をあげているつもりで歩きました。


痛恨の想い、未来への想い、そして私達の決意

 

 第一次告訴の時には、初夏の信夫山は染みるような緑でしたが、今回は冬へ向かう福島、全国からの熱い連帯がとてもありがたかったです。福島地検の建物には、くじ引きで9人が入り、私もその一人となりました。4人の検事たちに、全国からの想いを伝えてきました。運び込まれた10箱の告訴人名簿と陳述書の存在感は大きく、私たちを後押ししました。地検の方々に対しても温かく厳しいエールとなったと信じます。

 提出後は、バスで、福島市音楽堂へ。300名の会場からあふれるほどの参加者を得て、報告集会が開かれました。この集会が特に素晴らしいものでした。全国10か所の事務局から、各地の報告と陳述書の朗読があり、長年原発反対の声をあげてきた人々の痛恨の想い、暮らしを根こそぎ奪われた避難者の叫び、この事故を悔やみ、悲しみ、未来へ向かおうとするひとりひとりの想いが、会場にいる私たちの心を揺さぶりました。九州事務局として私は、水俣でチッソの社員だった方の陳述書を読み上げさせていただきました。自らの加害者性と向き合い、二度と繰り返したくない、起こした過ちに対しては責任をとるべきだというシンプルで強いメッセージは、私たちの決意の根底に共通してあるものだと思います。


九州からの魂の叫びとともに

 

 今回九州の陳述書を全て読ませていただきましたが、九州には、水俣をはじめ、長崎、筑豊、玄海原発・川内原発を抱える佐賀、鹿児島、新規立地反対を闘った宮崎串間、豊前火力発電所建設反対運動の起きた大分、そして沖縄等々…と、苦しみの中から人々の尊厳をかけて闘ってきた誇るべき歴史で培われた精神が、九州の皆さんの中にあるのだということを改めて感じました。原発の技術者であった方の陳述書もありました。また、九州各地へ避難してきた勇気ある避難者の方々の陳述書は、どれも切実な、魂の叫びでした。私たちはそれぞれの当事者としての闘いを支えあい、また新たに当事者としての闘いを共に闘っていきたいと思います。

 歴史上類を見ない大規模な告訴団となった今回の告訴は、検察が本来の仕事を行い、今回の原子力事件を厳正に捜査し、責任あるものを起訴するための大きなインパクトをもたらしたと思います。これからも、私たちの声を届け続けたいと思います。どうぞ皆さま、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。


軽やかに、ほがらかに。<再生>はここから

 

 九州では、年明けて2月中旬に、告訴団報告集会を福岡市内で開催する予定です。また、各地で告訴団の集いができたらよいのではないかと思います。今を生き延び、未来へつなぐ希望の一歩を踏み出し、つながった私たち、新しい年を迎え、これからを語りあう暖かな集いを、開きませんか? 孤軍奮闘している避難者たちがつながるきっかけにもなればと思います。やってみたい!と思われた方、ぜひ、ご連絡ください。私も飛んでまいります^^。

 つながりは力。今もう一度、類子団長の言葉をみなさんと共有したいと思います。<原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。・・・私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。> (2011年9月19日さようなら原発集会でのスピーチより)

 つながりを深め、広め続けていきましょう。ひとりひとりの心の声を、響かせ合いましょう。私たちの<再生>はここから始まります。

日常の暮らしをかえせ!人間なら責任をとれ!〜意見陳述書から

【本人の了解を得て掲載】

●私は以前、チッソ(株)に勤務していました。1956年、水俣病の公式確認された年に入社しました。水俣病の原因が、チッソの排水であることが分っていながら被害者、漁民、市民をだましていました。チッソの社員として当時は会社のやることを黙って見ていました。12年後の1968年、政府がチッソの排水が原因と公表したのは、排液が出なくなってからのことでした。 経営者は金もうけのためには、住民の健康はあとまわし、生産第一の考えであることが分りました。当刻企業の社員としての深い反省をしたことを覚えていますし、現在もその気持は変りません。 今回の東京電力のしたこと、現在やっていることは許されるものではありません。金もうけのために住民の生活を破壊して良い筈がありません。健康への不安を与えて良い筈がありません。厳正な処罰をお願いします。(熊本県・石田博文)

 

●「今年も白血病になりませんように」。ある原爆被爆者の方は、毎年お正月、神社でそうお願いするそうです。 今から67年前に投下された一発の原子爆弾が、こんなふうに長い間、被爆者の体も心も脅かし続けているのを、私たち長崎市民は身をもって知っています。被爆して病気になることも問題ですが、大切なのは「被爆したことそのものが人生に影響を与え続ける」ことなのです。ある被爆者は「死神と添い寝をしているようだ」と語りました。今回の福島第一原発事故によってもたらされた被ばくは、もちろん原爆のように一瞬の爆発ではありませんでしたが、多くの人々を放射線の危険にさらし、その人生の質において深刻な影響を現在進行形で与え続けています。これは事故でなく事件なのです。これ以上、誰も被ばくにさらされないよう、事件の責任を明確にし、原発再稼働へつき進む流れに、司法の皆さんが待ったをかけて下さることを、被爆地ナガサキから願うものです。世界中が日本の司法の良心に注目しています。(長崎県・西岡由香)

 

●とうとう水道水から放射能が…。もう水から出たらおしまいだ。と小2と年中の我が子の手を引き新幹線に飛び乗りました。行く当てもなく、京都で降り、その後福岡、熊本とたった1年の間に3ヶ所も移動。避難場所を変え、子どもの小学校は1年ごとで3つ目です。友だちが出来たと喜んでは「さよなら…。」の繰り返しでした。原発事故前、私たち家族は何年もかけて家を探しようやく見つけ、どの様な家にするのか、木の家? 間取りは? 子ども部屋、キッチン、そしてリビングは…? と希望に胸をふくらませておりました。それがもう叶うことはありません。 今、夫はひとり東京に残って仕事をしております。私と子ども2人は熊本に避難中です。子どもたちにとって最も父親を必要とする時期に引き離され汚染地帯に残されてしまった夫…。先の見えない日々の生活の不安さ、今後、子どもに被曝病(症状)が出てくるかもしれないという心配が常につきまとっています。私が死ぬまでずっとその十字架を背負って生きていかなくてはいけないのです。何でもない日常の生活を返して下さい。そして人間なら責任をとれ!(千葉県から熊本県へ避難・K)

 

●たべてはいけないものがげんぱつじこのあと、できたのがかなしいです。ぼくとおなじ年の子が、ほうしゃのうで、びょうきになりかけていることがかなしいです。いのちを大切にしてほしいです。(鹿児島県・永池友輝・8歳)

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福島原発告訴団・九州 ニュースレター vol.1(2013年1月1日発行)
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